2006年8月・夏休みの思い出(2日目)

8月5日、土曜日。


同級生の家に泊めてもらったものの、彼は早朝からバイトということで
6時前には起床、出発。それでもしっかり休めたから体は元気だ。
また30分ほど歩いて出町柳の駅まで。
電車を乗り継いで山科駅へ。
ここは京都東I.C.が近いのでよく使っているのです。
もう3回目か。地形もかなり覚えている。


そして「大阪方面」と掲げてヒッチハイク開始。
待つこと約10分、なんとマイクロバスが。こんなのは初めてだぞ…!?
なんと、千葉県からインターハイで遠征に来ている高校生たちのバス。
陸上の先生と空手の先生が引率で運転しているようで。
高校生約20人くらいと一緒に乗せてもらってしまったw
結構キンチョーしたなぁ…となりの席に座ったコとしか話せなかったし。。。
そして彼らは大阪まで、俺は中国道を目指すということで吹田JCTの手前で降ろしてもらおうと思ったが、
どうやら通り過ぎてしまったようで、仕方なくそこからすぐの吹田S.A.で降ろしてもらう。
先生からおにぎりをいただいて記念撮影をしてお別れ、逆方向に渡ってS.A.出口で再開。


名神上り方面から中国道へ行くヒトを探す。
しばらく立っていると、4人組を乗せた車の中になんと見たことのある顔が…!!!
驚いたことに、大学の卓球部のA先輩。
今年からこっち(関西)で働き始めたばかりの。
去年までは同じ青葉山で学生をしていた。
まさかこんな関西のサービスエリアでこんな形で出会うとはwww
第一声が
『おまえ、なんでこんなところにいるのっ!?』
そりゃ俺が先輩でも同じことを叫ぶでしょうな。二人で大爆笑。
とはいえ、残念ながら方向が違ったために乗せてもらうことは出来ず。そのままお別れ。


そしてまた待ち続ける。
ひたすら待ち続ける。
とにかく待ち続ける。

来ない。
どうやら吹田から中国道方面に行くヒトはほとんどいないらしい。
そっちに行くヒトは最初から下を通って中国道に入るんだとか。
4時間半待っても誰も来ないなんておかしいもんね。
むしろ「中国道方面」って掲げて立ってたら
「えっ!?ここから名神で京都方面に行けないの!?」と聞かれ
「いえ、普通に行けますよ、ただ僕は中国道に行く人を探してるだけで…」と答えると
「なんだよ、ビックリさせんなやボケっ」と怒られてしまったり。
勘違いで逆切れされてしまいました。ヒッチハイカーを理解してくれよ〜


んでとにかくこのままここに立っていても埒があかない、ということで、
「一度名神上りで京都方面にUターン、そこからもう一度Uターンして
今度こそ吹田JCT中国道に抜けるヒトを探す」という作戦を立てる。
そうすると結構スムーズにいけるもので。
結構アッサリ名古屋の方に向かうという左ハンドルのオジサマに乗せてもらえた。
ようやく乗せてもらった車は涼しくてサイコー。
そして桂川P.A.までまず連れて行ってもらうが、ここは反対側に渡るのに30分くらいかかるのだとか。
しょうがないのでここは諦めさらに東に行った大津のS.A.まで。
結局スタート地点の京都より東に戻ってしまってるしwww
そこで降ろしてもらい反対側へ歩いて渡り、今度こそ中国道方面へ行くヒトを探す。


またすぐに拾ってもらうものの、やはり大阪方面行きで、とりあえずは桂川までお願いする。
ゴミ処理関係のトラック?のオジサン。
桂川P.A.下り方面でお別れ、もう昼過ぎだ。こりゃ松江到着は相当遅くなりそう…
とにかく中国道へ向かうヒトを探す。
ちょうど昼過ぎ、メチャメチャ暑く、陽射しが殺人的に強烈。
30分ほどでようやく話を聞いてくれたヒトに交渉して、中国池田I.C.まで乗せてもらうことに。
助かった…
ホントはそっちに行く用事はなかったらしいが、暑い中S.A.出口で立っている若者を見捨てないで
情をかけてくれたオニイサン。ありがとうございました〜。


そして中国池田I.C.。実はここも3回目だな。
前回・前々回ともに結構イイカンジで拾ってもらえてたから、今回も楽勝。
…と思っていたんだけれども。
あれ?
なんか、時代が変わったのかな。
みんなETC使ってやがって、減速しないでビュンビュン通り過ぎて行っちゃうのね。
全然止まる気配なし。
なんてこったー
チクショー、ETCのバカヤローっ!!
…と叫んでもしょうがないので、ひたすら横の方で遅いスピードで入ってくる車に狙いを定め、待つ。
1時間半ほどでようやく拾ってもらえた。
ヒッチハイカーは初めて見た、ってことでかなり驚いて褒めてくれたオニイサン。
「頑張れよ」と、色々励ましてくれた。
西宮名塩S.A.よりイケそうな気がしたので西宮北I.C.まで。


しかしこれまた判断ミスだったようで、
西宮北I.C.からも全然拾ってもらえる雰囲気が無い!!
意外と冷たいぞここは…
パッと見、一人で運転している女性なんかが多いようで。
そりゃ乗せてもらえないわ、という印象。
ひたすら待ってみるが、なかなか止まってももらえず。
方角も悪かったのかな、中国道下り方面はやはり少ないようで。
結局日が暮れてしまった。日没。あたりは暗くなってくる。
腹は減ったし汗をかいたが水分が足りてなくて苦しくなってきたし。
全然松江にも辿り着けそうに無いし。
すーぱーぴんち。
でも何故かテンションは上がってたり。
とにかく今のままでは暗いし誰にも拾ってもらえない。
必死で車に止まってもらえるように動き回って、とにかく乗せてもらう。
拾ってくれたのは案の定、大阪方面に戻るトラックの人。
とりあえず西宮名塩のS.A.までだけでもお願いします、ということに。
S.A.にさえ行けばとりあえず水分と食料の補給はできるからね。
トラックのおっちゃんも超イイヒトで、積荷にあった稲荷寿司などを恵んでくれた。
全然松江からも遠いしとっくに日が暮れてしまっていたけど、とりあえず一命は取り留めたカンジ。
もらった寿司を食って、水をガブ飲みし、一気に回復。


このまま大阪方面に戻って明日出直すか、何時までかかっても今日松江を目指すか。
悩みつつ松江レークサイドユースホステルに電話して相談。
24時くらいまでなら待ってくれる、ということで、
21時くらいまではとりあえず松江を目指す方向で頑張る、ということに決定。
また下り方面に歩いて渡り、初めての夜間ヒッチハイクに挑戦。
幸い西宮名塩S.A.はヒトがまだまだ多く、照明も明るくてイイカンジ。
ただ何となく目立ってしまうのでかなり恥ずかしいというか、やりにくかったが。


でもラッキーなことに始めて10〜15分くらいで優しいご家族が拾ってくれた。
津山まで、ということで中国道をずっと下るところを載せていただいた。
夜なのでお子さん達は既に車内で就寝中。
おとーさんとおかーさんと、3人でお話しながら。
おだやかで素敵なご夫婦だった。俺の苦労話なんかも聞いてくれたし。
色々食料もいただいちゃいました。御馳走様です。
勝央のS.A.で降ろしていただき、また出口付近で米子道行きの車を探す。
勝央はだいぶ車が少なかったが、ここも非常に運良く、すぐに米子までの方に拾っていただいた。
東北地方までずーっと車で旅をしてきたという、先生。
ちょうど米子に帰るところだったそうで。お互いの旅の話なんかをしつつ。
長時間の運転お疲れ様です。
俺もそろそろ体力の限界が近く、途中で半分寝ながら話を聞いてましたm(_ _)m
とにかく、ようやく23時過ぎに米子に到着。


しかしここから松江行きの車も、日中ならともかくこんな夜中では捕まらない。
ここで見捨てるわけにはいかない、ということで先生、わざわざ松江まで運んでくださると。
しかしユースホステルのペアレントさんが米子まで迎えに来てくださるということで、
米子駅前でお別れ。本当に色々親切にありがとうございました〜。
米子駅前では若者達が数組、路上で歌っていて楽しそうだった。
そしてようやくペアレントさんと合流、日付が変わった頃にようやく目的地の松江レークサイドYHへ到着。
な、長かった…


予定としては20時からの水郷祭の花火大会に間に合うように到着するはずだったのに。
夕方前には着くと思っていたのに。
なかなか上手くはいかないものですね。
そもそもヒッチハイクで時間の予定を立てるってことが間違っていたんだ。
ということを改めて気付かせてくれた、貴重な経験になりました。
『予定は未定にして決定にあらず。』
子供のときの遠足で誰だか先生が言ってたことだけど、
ものごとってのは何でもかんでも予定通りに進むわけじゃないんだよね。
それだからこそ人生は面白いのだけど。


それでも夜間ヒッチハイクなんかにも挑戦して成し遂げて、
色々な人には迷惑をかけつつもとりあえず目的地には到着することが出来て、
達成感は結構あった気がする。
先輩が考えた名言。
『俺はヒッチハイクで車に乗せてもらえなかったことは無い。
なぜなら、乗せてもらえるまで待つのをやめないからだ。』
というのは良い考え方だなぁ、と思った。
諦めなければ必ず成し遂げることができる。
そんなことを考えさせられた、一日だった。
お疲れ様でした。