女子高生刺殺事件について

気になっていたこの事件。
毎日新聞ニュースより。
東京・町田の女子高生刺殺:当日下校中、憎しみ増幅 少年「無視されている」

 東京都町田市の古山優亜(こやまゆうあ)さん(15)が殺害された事件で、殺人容疑で逮捕された少年(16)が「受験の時に声をかけてもらい、気になる子だったが、高校に入ってから無視されているように感じていた」と動機について具体的な供述を始めた。少年は下校中に事件を起こしていた。警視庁町田署捜査本部は一人で学校から帰る途中に優亜さんを憎む気持ちを増幅させ、殺害に及んだ可能性が高いとみて調べている。
 少年は捜査本部の調べに、「高校受験前の今年1月ごろ、(優亜さんと)廊下で会った時、自分の名を呼んで『試験がんばれ』と初めて声をかけてくれた。合唱コンクールの時も『頑張ろう』と声をかけてもらい、少し気になる女の子だなと思っていた」と供述。

 さらに、事件当日について「一人で学校から帰宅する際、学校での出来事に思いふけっていると、高校に入ってから無視されていることを思い出し、『おれは何も悪いことはしていないのに』と憎らしくなってきた」と供述した。

 少年はこれまでの調べに対し「高校に入って急に冷たくなったから」と動機を供述。捜査本部は一方的な好意を優亜さんに抱いていた少年が、高校に入ってからの優亜さんの態度に腹を立てていた可能性があるとみて、殺意を抱くようになった経緯を慎重に捜査していた。

 殺害に至る行動について、少年は「学校の帰宅途中に優亜さん宅に行き、台所で包丁を探し、居間に座っていた優亜さんに切りつけた」と供述。制服のまま自転車で優亜さん宅の近くに乗り付け、玄関から無断で侵入したとも供述している。

 一方、事件8日前に校内で盗まれた優亜さんのバッグが13日午後、優亜さんの自宅近くの閉鎖されている小学校の敷地内で見つかった。捜査員が発見したが、鍵や財布はなかった。捜査本部は、バッグが盗まれた被害と少年との関連は薄いとみている。

 これまでの調べでは、バッグは2日、高校の中庭にある机の上に置いていたところを盗まれた。中には優亜さん宅の鍵や財布、生徒手帳などが入っていた。

 ◇教師出迎える中、泣きだす生徒も−−逮捕後初の登校

 殺害された古山優亜さん(15)が通っていた都立高校では14日、同校生徒の少年(16)が殺人容疑で逮捕されてから初の登校日を迎えた。生徒たちは一様に硬い表情で足早に校内へ入っていった。

 3年生の男子生徒は「悲しいです」と一言だけ話して校門へ急いだ。学校近くの路上には教師十数人が立って生徒を迎えたが、教師の姿を見て泣き出したり、教師に抱きついたまま動かない女子生徒もおり、衝撃の大きさをうかがわせた。

 同校では午前8時45分から体育館で全校集会を開いた。瀧上文雄校長が「加害少年が本校の生徒であったことは非常に残念。他人を思いやる気持ちを持ち、今後の学校生活を穏やかに過ごしていこう」と呼び掛けた。

 同校には都教委から6人のカウンセラーが派遣され、生徒へのカウンセリングを行う。同校によると、この日40人が欠席したという。【永井大介、木村光則】

毎日新聞 2005年11月14日 東京夕刊

いったい、何故。
殺害に至った経緯について書かれたこの記事を読んで、ますますそう思ってしまう。


なぜ、「少し気になる女の子」に冷たくされて「憎む気持ち」になってしまうのか。
なぜ、『おれは何も悪いことはしていないのに』と考えてしまうのか。


とても気になる。
現代の子供達は感情のコントロールが上手くできないのだろうか。
(自分と6,7年しか違わない人々を別世代の人間として捕らえて良いものかどうか。自分も彼らと大きくは変わらないのかもしれない。それはともかくとして。)
普通なら、「気になる女の子」に冷たくされた場合、『悲しい』と思うだろう。
そして、その女の子がどうして自分に冷たくするのか、
どうしたらその女の子に気に入ってもらえるか、好きになってもらえるか、
ということを考えるのではないだろうか。
でも彼の場合は
「俺は悪いことはしていない」⇒「悪いのはあいつだ」⇒「あいつが憎い」
と感情が変化してしまったのだろうか。
だとしたら、なんて自分勝手な思い違いなんだろう。


自分に非があるとは思わないのかな?
自分の周りの、誰かの、何かのせいにしたくなってしまうのかな?


なんで、そうなっちゃうんだろう。
そんなの、人間としておかしいよ。
好きは人は大事に、ね?
そうは思わないかい?


なんでも手に入ってしまう今の世の中。
だからこそ手に入らないものがあるとムシャクシャする。
そして、人々は人間として大事なものを失っていってしまうのだろうか。


自分は人間として生き、人間として死にたい。
どうか、2度とこのような事件が起こらないことを、
そして、このような事件が起こらない、『本当の意味で』豊かな、心豊かな世界が訪れることを、
心から祈ります。
そしてそのために尽力したいと思います。